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仕事について

 自分の仕事に関して、今更特に思うところはないが、若い頃はこの仕事を選んで失敗したとか、転職しようかとか本気で考えていたこともあった。特に強い希望があったわけでもなく、成り行きで選んだ仕事ではあるが、ほどほどになじんでいるというところだ。
 ところが、最近職場にくる若者たち(これを言い始めると完全オヤジである)は、この仕事につきたくて仕方がなかったというような話を良くしている。バブル採用で完全売り手市場だった自分たちと、永遠の就職氷河期に苦労して就職する若者たちでは、仕事に関してかなり意識の違いを感じる。一方で、苦労する分仕事に対して深く考えすぎて一歩も前に進めない人々もいると思う。
 そんな最近の仕事観について内田樹さんが、いまい事を書いているので抜粋しておく

  自分の適性に合った仕事に就くべきだと当たり前のように言われていますが、適職などというものは本当は存在しない。仕事というのは自分で選ぶものではなく、仕事の方から呼ばれるものだ。「天職」のことを英語では「コーリング」とか「ヴォケーション」と言いますが、どちらも原義は「呼ばれること」です。僕たちは、自分にどんな適性や潜在能力があるかを知らない。でも、「この仕事をやってください」と頼まれることがある。あなたが頼まれた仕事があなたを呼んでいる仕事なのだ、そういうふうに考えるべきだ。

「キャリアのドアにはドアノブがついていない。」

 キャリアのドアは自分で開けるものでなく、向こうから開くのを待つものです。そして、ドアが開いたら、ためらわずそこに踏み込むべきものです。
「特技や適性を生かした職業に就きたい」というのは、すでに自分が持っている能力や知識を高い交換比率で換金したいということです。そういう人は、自分が労働を通じて変化し成熟するということを考えていません。でも、「その仕事を通じて成長し、別人になる」ということを求めない人のためのキャリアパスは存在しない。
 これは、自分自身は少しも変わらず自分のままでいて、それにぴったり合う「理想の配偶者」との出会いを待ち望んでいる人とおなじである。そういう人はたぶん永遠に「ぴったりくるもの」に出会うことができないでしょう。「どんな相手と結婚しても、そこそこ幸福になれる人」は、「理想の配偶者以外は受けつけられない人」よりもずっと市民的成熟度が高いと思います。
仕事だってそうです。「どんな職業に就いても、そこそこ能力を発揮できて、そこそこ楽しそうな人」こそが成熟した働き手であり、キャリア教育はその育成をこそ目指すべきだと思っています。
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Author:Banana fish
村上春樹をこよなく愛する者です。タイトルは「風の歌を聴け」に出てくる台詞から引用しました。タイトル通りにありふれた現実と美しい映画や文学について書いていきます。

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