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sony,comeback!

 我が家からSONYのロゴが少しずつ消えていった。今では5年ほど前に買ったSONYのブラビアだけである。これもSONYを選んだと言うより、棚に収まるサイズがブラビアだけだったというだけの話だった。
 一昔前は、SONYというロゴは今のappleと同じくらいのネームバリューがあった。ただ持っているだけで、おしゃれな感じがしたし、人とは違うという優越感にちょっぴり浸ることができた。バブル世代の私としてはその感覚はとても大事だった。もちろん製品の性能は文句なしだった。そんなわけでコンポ、カセットレコーダー、カーオーディオ、テレビ、ウォークマン(カセットからCD、MDにいたるまで)などAV機器のほとんどをSONYで揃えていた。
 そんなSONYが今どん底で苦しみもがいている。一消費者としてとても残念であるし、なぜこんな状況になってしまったのかといらだちも覚える。そんなことを考えていたら、朝日新聞でSONY特集を組んでいた。そこで、かつてSONYファンだった一消費者として、その原因を考えてみたい。
 SONYの変わり目は出井さんの登場であるということは耳目の一致するところだろう。彼が取締役をごぼう抜きして社長についたことは当時マスコミで評判になっていた。そして、かれが「カリスマ経営者」という肩書きがついた走りではなかっただろうか。背が高く、おしゃれで、しっかりとした物言いの彼は幾度となくテレビに登場し、いろいろ語っていたことを覚えている。しかし、彼の話のなかで、SONY製品について語ったことを思い出すことができない。彼の仕事は、よりよい製品を生み出すことではなく経営をファッション化することだった気がする。取締役を減らしたり、社外取締役をもうけたり、エンタメとの融合を計ったりと経営システムを変更する事であった。実際、当時SONYの記事と言ったらそんな話題ばかりで、製品の話題がほとんど無かった。
 出井さんからストリンガー、平井さんと非製造部門の方々が経営のトップになって、ソニーは製造メーカーではなくなってしまった。製造部門の人はモチベーション維持が大変なはずだ。私だって畑違いの人がトップに立つときがあるが、見当違いな命令を突きつけられて「素人が何言ってる?」と思いながら、業務命令なので渋々やっているわけだ。よほど人ができていなくてはやる気が無くなるだろう。
 そして、他の要因として、SONYの独自規格にあるとおもう。独自規格が差別化と優越感を生み出すのは、ブランドイメージが必須である。アップル製品にも同じ事がいえるが、独自のOSやitunesなど正直言って面倒くさいが、それこそが「他とは違うアップルを使っている」という自己満足になるのだ。しかし、ひとたびブランド価値がなくなれば、それは互換性や汎用性がない面倒な代物と化してしまう。ソニーのβを使っている人は「ちょっと普通の人と違っておしゃれ」と思われたものだ。しかし、ブランド価値が落ちてしまった数年前からメモリースティックなんて誰も見向きもしなくなってしまった。パソコンのVAIOも扱いづらいだけだ。もはや並のメーカーになってしまったSONYで未だに独自規格に固執していると消費者に敬遠されるのは当たり前である。
 SONYが生き残る道は2つしかないとおもう。一つは世の中の生活を変えるような製品を開発すること。そして、それをしっかり製品化する理解ある経営者を持つこと。もう一つは、重電部門をもたないので、ちまちましたエレクトロ部門をすべて売却して、金融とエンタメの会社として平凡な会社として生き残ること。まあ、どちらも限りなく可能性が低い。
 SONYが無残な姿になる日と我が家のブラビアが故障する日はどちらが先だろうか?
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Author:Banana fish
村上春樹をこよなく愛する者です。タイトルは「風の歌を聴け」に出てくる台詞から引用しました。タイトル通りにありふれた現実と美しい映画や文学について書いていきます。

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