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イスラム国 処刑予告まであと数時間


 

 イスラム国は潜入したジャーナリストを拘束し、政府に対して当初は2億ドルという途方もない身代金を要求してきた。その後、ヨルダンでテロを起こした死刑囚の解放と要求を変えたが、日本政府はどういった対応をするのか、日本国民だけでなく世界各国で注目を浴びているはずだ。
 こういった事件が起きると、世論は二つに分かれる。ひとつは、ダッカ事件のように「人命は地球より重い」などと言い、「国家はどんな状況であろうとどんな人間であろうと、国民を守る義務があり、それこそが国家の根幹である」というヒューマニズムとアカデミズムが混ざり合った意見である。そして、もうひとつは「あんな危険地帯へ行ったのだから自己責任である」という意見である。
 確かに、滑走ルートを故意にはずれて、遭難したアホなスキーヤーでも、雪山に無謀にも挑んで遭難した人々も、税金を使って捜索をする。もっとも、人数が足りず民間の山岳隊やヘリコプターを動員して、多額の捜索料を請求されるのだが、とりあえず公的な捜索には金がかからない。しかし、2億ドルという身代金を払ったり、他国に多大な被害を与えた犯罪者を解放してもらうほど、国家は無限に国民に責任を負うべきなのだろうか?
 こんな事を考えていたら、全く別の疑問が生じてきた。法律も知らない全くの素人の素朴な疑問であるが、どんな人間であろうとも国民を守るべきだとしたら、国家権力によって国民を死に至らしめる死刑というのはどういった立ち位置にあるのだろうか? 個人的な解釈としては、善良なる国民に莫大な不利益(命を奪う行為)を負わせた人間に対するしかるべき罰という事になるのだろう。
 誤解して欲しくはないが、彼が法を犯した犯罪者だと言っているわけではない。私が言いたいのは、国家は国民全体にとっての利益を考えなければいけないと言うことだ。「最大多数が被害を受けないためには、人命を無視して良いのか」という人もいるが、こういった問題はそんなに白黒つけられるものではない。要するにバランスである。どの程度の被害が許容できるか、国家にどの程度の瑕疵が存在するかなどによって変わってくる。
 彼を救うためにヨルダンに圧力をかけて、緊密な関係を壊すリスク、テロに屈して要求をのんだことによって、おいしいカモとして、第二第三の新たな日本人が誘拐されるリスク、テロに弱腰という国際社会からの評価を下されるリスク。そういったことと、彼の取った行動の帰結を天秤にかけて判断するしかない。どちらがより大きいかの判断は、専門家の領域なのでよく分からない。国家が許容できるあらゆる手段を用いて、彼が無事に帰ってくることを祈るだけだ。
 
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Author:Banana fish
村上春樹をこよなく愛する者です。タイトルは「風の歌を聴け」に出てくる台詞から引用しました。タイトル通りにありふれた現実と美しい映画や文学について書いていきます。

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